No.57 佐野常民生誕200年展に行ってきました – 日本赤十字社 兵庫県支部

事務局長の窓

No.57 佐野常民生誕200年展に行ってきました

2022年12月1日 掲載

事務局長 大久保博章

令和4年10月4日~令和5年3月30日まで、日本赤十字社本社1階の赤十字情報プラザで「佐野常民生誕200年展」が開催されている。先日、本社理事会に出席した後、展示を見ることができた。

1823年2月8日、佐賀藩士の5男として生まれた佐野常民は、藩校で医学を修め、のち大阪適塾で蘭学を習得。西南戦争(1877年)に際して博愛社を設立し、1887年博愛社が日本赤十字社になると初代社長となったが、設立にかかる様々な書類、物品等が展示されている。

展示の中には、西南戦争の際に激戦地であった熊本で、官軍征討総督・有栖川宮に提出された常民直筆の博愛社設立請願書や常民が師事した蘭医学者・緒方洪庵の掛け軸もある。そこには、医の倫理「扶氏医戒大略」が説かれており、「たとえ回復の見込みがない者も見捨てることは人道に反する」と書かれている。また、毎年支援者へ活動を報告していた原稿をまとめた博愛社報告原稿の1880年社員(支援者)名簿には、渋沢栄一や大隈重信、伊藤博文らが名を連ねている。
さらには、かつて日赤が所有していた病院船博愛丸の1/48サイズの模型もある。これは、常民がもっと負傷者を救いたいと製造したベッド数約300床、手術室を完備し、日露戦争などで救護患者の搬送に活躍した船である。

一方で、常民が日本美術協会の全身である瀧池会の創設者の一人であったこともあり、普段は、上野の森美術館に展示されている佐野常民の半身像もあった。なお、戦前は、赤十字社本社の中庭に全身像があったらしいが、戦時中に軍部へ供出されたらしい。

これら展示内容を説明していただいた、赤十字社の職員が、いかに佐野常民が、人道支援に情熱を傾けて取り組んだかを「常民さんはね、・・・」と語る笑顔が印象的であった。そしてその横では、清家篤現赤十字社長も微笑んでおられた。

このような日本赤十字社の歴史と伝統、先輩諸氏の歩んでこられた軌跡を見るにつけ、改めて赤十字活動の発展のため、自分は何ができるのだろうかと思う。ただただ、支部職員と一緒になって、赤十字の思いを一人でも多くの方々に理解いただくよう努力することしかないのだが・・・。

皆様も、上京される機会があれば、是非、東京都港区芝大門の日本赤十字社にお立ち寄りください。