(No.23)東日本大震災から15年を迎えて-風化させない教訓について – 日本赤十字社 兵庫県支部

事務局長だより

(No.23)東日本大震災から15年を迎えて-風化させない教訓について

2026年3月17日 掲載

事務局長 生安 衛

 3月に入りました。暦の上では春ですが、朝・晩の寒気や風に触れると、冬の名残が残っていると感じます。寒さとぬくもりが行ったり来たりするこの感じこそ、まさに「三寒四温」であり、私たちに季節の移ろいを教えてくれています。
 3月11日に、2万2,230人の死者・行方不明者を出した「東日本大震災」の発生から15年となりました。発生時刻の午後2時46分に合わせて、本支部の職員は黙祷し、東北に向けて祈りをささげたところであります。
 2011年3月11日午後2時46分、東北地方の太平洋沖を震源にして、マグニチュード9.0の超巨大地震が発生しました。「東北地方太平洋沖地震」と命名されました、この地震は、日本で近代的な地震観測が始まってからの最大規模の地震であったと言われています。岩手県沖から茨城県沖まで南北約500キロメートル、東西約200キロメートルに及ぶ広大なものでありました。最大震度は宮城県栗原市で震度7、宮城県・福島県・茨城県・栃木県の各地で震度6強が計測されています。
 そして、地震発生後から約1時間後、津波に襲われた東京電力福島第一原子力発電所は、原子炉を冷却できなくなり、メルトダウンが発生し、大量の放射性物質の漏洩を伴う重大な原子力事故に発展し、周辺一帯の福島県の住民の方々の避難は長期化しました。
 当時、私も県内のボランティアの方々などとともに、バスで日本海側を迂回しながら宮城県へ支援に行ったことを思い出します。
 さて、この15年という日時は、防災の在り方や役割について、私たち日本赤十字社に対しても、多くの問いを投げかけてきたと思います。私自身、毎年、東北地方を訪れていますが、復旧・復興の取り組みが年々積み重ねられ、地域の姿は大きく変化しているように感じます。一方で、震災の記憶や教訓が、社会の中で徐々に薄れつつあるようにも感じています。
 今回は、15年を迎えた東日本大震災をふまえて、今一度、私たちとして何をすべきかなどについて考えたいと思います。

(津波に対する避難行動・避難計画)

 東日本大震災の津波では多くの尊い命が失われました。最新のデータでみると、死者1万5,901人、行方不明者2,519人、災害関連死3,810人となっています。多くの方々が大切な家族、家、仕事を失いました。
 岩手県は、東日本大震災津波の教訓を伝承し、復興に向けた歩みを次の世代に引き継ぐために、毎年3月11日を「東日本大震災津波を語り継ぐ日」と定めておられます。東日本大震災津波により亡くなった多くの尊い命に追悼の意を表し、復興に向けた歩みの中で得られた多くの絆を大切にし、一人ひとりの大切な人に思いを寄せ、ふるさとを築いていくことを誓っておられます。記憶の風化を防ぎ、教訓を次世代に確実に引き継ぎ、未来の命を守る行動へとつなげるという点で、被災地としての経験と責任を社会に生かす取り組みであると感じています。

<岩手県ホームページ>

https://www.pref.iwate.jp/shinsaifukkou/fukkounougoki/1038051/index.html

 

 古くから、東北の三陸地方では、「津波てんでんこ」という伝承の言葉が伝えられてきました。てんでんこは「てんてんばらばらに」の方言で、津波の時は家族さえかまわずに、自分ひとりでも高台に走って逃げろというものです。
 また、「寝る時は履物を揃え、衣類はきれいに畳んで枕元に置いておけ」という言葉もあります。夜寝ているときに、大きな地震が来ても、直ちに身支度を整えて逃げ出せるように子どもたちに言い聞かせた言葉だと聞きました。
 先人たちが災害の記憶や教訓を語り継いできた背景には、単なる過去の出来事として終わらせるのではなく、「未来に向けて備えること」「行動につなげること」の大切さを次の世代に伝えたいという強い思いがあったのだと、改めて感銘を受けました。経験から生まれた知恵は、時代が変わっても色あせることなく、私たちに多くの示唆を与えてくれます。
 こうした教訓を自分事として受け止め、私たち自身も南海トラフ地震などの大規模災害に備えて、日頃から家族や地域、職場で話し合いの場を持ち、避難行動や避難計画を考えてみてはどうでしょうか。年に一度でも継続して取り組むことで、防災は「特別なこと」から「日常の習慣」へと変わっていきます。その積み重ねこそが防災意識を高め、将来の命と暮らしを守る力につながっていくものだと感じています。
 とりわけ津波災害においては、「とにかく逃げる」ことが何よりも重要です。そのためにも、日頃から防災無線や緊急情報に意識を向け、いざという時に正確な情報を速やかに入手できるよう備えておくことが欠かせません。また、毎日の生活の中で、通勤・通学路や身近な場所に設置されている津波避難標識を確認しておくことや、津波ハザードマップを活用し、どの方向へ、どの経路で逃げるのが安全かを、災害が起こる前から家族や地域、職場で相談し、検討しておくことも大切です。
 さらに、定期的に日を決めて非常持ち出し品を見直すことも、重要な備えの一つです。現金や預金、水や非常食、救急箱、防寒着や替えの下着、懐中電灯、ラジオや電池など、自分や家族にとって本当に必要なものは何かを確認し、更新していく作業を日常の中に取り入れていくことが求められます。
 こうした行動を年に一度でも継続し、積み重ねていくことで、防災は特別な取り組みではなく「生活の一部」となり、防災意識は自然と高まっていきます。
 今年度、日本赤十字社では、上白石萌音さんが避難行動・避難計画を記載したボードを掲げるポスターを作成しています。家族などでの防災行動のきっかけにしていただければ、嬉しく思います。

<気象庁:津波から身を守るために>

https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/jishin/tsunami_bosai/index.html

(原子力災害への対応)
 15年前を思い起こせば、社会全体で最も危惧されていたのは、放射線への恐怖だと記憶しています。
 原子力災害は、一般の災害と違い、見えない危険である放射線への対応が求められます。だからこそ、専門的な知識と技能が不可欠であると、痛切に感じています。
 日本赤十字社では、「原子力災害時の救護研修」を全国各ブロックの持ち回りで、年2回開催しています。昨年12月には、本支部で、18名の原子力災害医療アドバイザーの支援を得て、放射線環境下で安全に救護活動を行うための基礎知識、そして防護資器材の正しい使い方を学ぶことを目的として、講義やグループワークの研修を開催しました。
 東日本大震災以降、原子力発電所の安全対策は強化されています。令和6年の能登半島地震で、志賀原子力発電所は一部設備に被害が生じたものの、安全確保上の問題は起きませんでした。
 原子力規制委員会のホームページをみると、稼働可能な原子力発電所は19発電所33基、うち稼働中は7発電所10基となっています。近畿圏では、福井県(美浜町・高浜町・おおい町)で運転中は5基です。

<原子力規制委員会ホームページ>

https://www.nra.go.jp/jimusho/operation_status.html

 昨年から、新潟県の柏崎刈羽原子力発電所の再稼働、北海道の泊原子力発電所3号機の再稼働の動きなどもあります。
 私たち赤十字は、南海トラフ地震などの大規模災害と原子力事象が同時に起きる複合災害に備え、平時から体制を整えておく必要があると思われます。
 そのためにも、このような研修を通じて、原子力災害時においても、信頼される活動を展開できる体制づくりにつなげていきたいと考えています。

(防災意識を日常へ)

 災害は発生から15年を過ぎると、社会の中で風化が進み始めると言われています。この15年という節目は、一人一人が、東日本大震災以降の防災の歩みを振り返り、何ができるようになったのか、そして何が十分にできていないのかを見つめ直す重要な機会です。
 今年は、東日本大震災から15年という節目の年として、各地でシンポジウムや講演会、関連イベントが開催されています。できる限り、そうした場に参加し、被災地の現状や実際の声に触れることで、防災意識を高めて、日常の備えや行動に結びつけていくためのヒントを得ることは重要なことであると思っています。
 また、日本赤十字社兵庫県支部では、「防災セミナー」を日常的に実施していますので、活用いただきたいと感じています。
 内容は、災害への備え・災害エスノグラフィー・災害図上訓練(DIG)・家具安全対策ゲーム(KAG)・おうちのキケン・ひなんじょたいけんなど、様々なメニューを用意しております。ぜひお問い合わせください。

<赤十字防災セミナー>

 私たちは、東日本大震災や阪神・淡路大震災などの数々の災害の記憶を風化させることなく、そこで得られた経験や教訓を次世代へ確実に伝え、具体的な行動へとつなげていく責任を担っていると考えています。
 また、東日本大震災から15年という節目を迎えるにあたり、日本赤十字社職員として、防災・減災の原点を改めて見つめ直し、これからの防災・減災の在り方を考え、実践へとつなげていくための新たな出発点としたいと考えております。