No.79 災害に備える – 日本赤十字社 兵庫県支部

事務局長の窓

No.79 災害に備える

2024年2月8日 掲載

事務局長 大久保博章

元旦に発生した能登半島地震から早や1か月余り。被災地では、今も日赤救護班が活動している。通常の災害では発災後1月もたてば、被災地の病院も以前の体制に戻ることから、救護体制を縮小するところである。しかしながら能登半島の場合、道路や水道のインフラ設備の復旧の遅れから、医療体制が十分とは言えない状態が続いている。このため、DMATなど他の医療チームが2月末を目途に縮小しつつある中、コーディネーターの医師に言わせれば「後は日赤さん頼むわな。」と言われ、最後まで救護活動を続けることとなる。いわゆる「シンガリ」として、厳しい寒さの中、春が訪れるまで被災者に寄り添った活動が続く。

それが日赤本来の使命であると言えばそうであるが、出動する救護班の職員、留守をカバーする病院職員、連携する支部職員一人ひとりに頭が下がる思いである。

そんな状況の中、2月の職員会議では、「私の災害への備え」について1分間スピーチをしてもらった。

ある職員は、枕元にスリッパと懐中電灯を置いている、ある職員は食品備蓄を家でも、職場(机の下)でもしている。またある職員は、今回の災害で改めて防災リュックを点検したと話してくれた。かくいう私は、食料の備蓄も大切だが、それ以上に隣近所との絆が大切ではないかと思い、いざというときに助け合えるようにマンションの同じフロアの方々とのコミュニケーションに心がけていると話した。

また、今の住居がたとえ住めなくなっても、離れたところで生活できるよう、実家を改造して2拠点居住することも考えている。もちろん、実家の周りの疎遠になっている幼馴染や親せきとのつながりも大切にしていこうと思っている。

阪神・淡路大震災の時もそうだったし、今回の能登半島地震の際も、崩れた家屋から助け出された方の大半は、隣近所の人の力によるもの、いわゆる共助である。

誰々はどの部屋に寝ているかを知っているから、救助はこちら側から行った云々の話をよく聞いた。

とかく人間関係が希薄化し、SNSの発達により、直接話をすることが少なくなっている今だからこそ、隣近所の方々との普段からのお付き合いを広げていきたいと思っている。自分の身を守るためにも、隣人の命を守ってあげるためにも。