No.78 29回目の1.17のつどいに出席しました – 日本赤十字社 兵庫県支部

事務局長の窓

No.78 29回目の1.17のつどいに出席しました

2024年1月18日 掲載

事務局長 大久保博章

1月は兵庫県民にとって、忘れられない、忘れてはならない防災月間である。あの阪神・淡路大震災から29年。あっという間の29年であった。

真冬の地震は、春に発生した東日本大震災や熊本地震、初夏から秋にかけて頻発する台風・豪雨災害とは違い、真冬の寒さが被災者を苦しめ、救援を困難にする自然災害である。今年は1月1日に能登半島で大地震が発生し、日赤からも多くの職員・救護班が出動し、29年前のあの日と同じように冬の寒さと闘いながら活動している。

そんな中、今年も「ひょうご安全の日1.17の集い」が行われた。キーワードは「ともに」

参加者全員が能登半島地震の被災地に寄り添う気持ちを込めながら、式典は進められた。

開会の言葉も、主催者挨拶も、来賓あいさつも、子供たちからのメッセージも、最初に能登半島地震の犠牲者に対する哀悼の言葉からはじまり、震災直後のことと、その後のことへと話が進んでいく。

どうしてみんな、こんなにも同じ流れの挨拶をと思って、ふと気づいたことがある。

映像を通して目に入ってくる、今回の能登半島地震の状況が、29年前の神戸の状況と全く同じなのである。押しつぶされた家屋は、神戸市内のあらゆるところにあったし、輪島のビルの倒壊は三宮フラワーロードのビルの倒壊を、朝市の火事は長田の火事を思い出させる。毛布にくるまった被災者や避難所の状況、山積みにされ避難所に届かない支援物資、使えないトイレの問題も、29年前に見た光景と同じである。

震災後、ずっと「忘れない 伝える 活かす 備える」といって阪神淡路大震災の教訓の普及に努めてきた気でいたが、実態は何にも変わっていないことに愕然としている。

 式典の最後に、献花をして、震災でお亡くなりになられた方のご冥福をお祈りした。改めて、震災の教訓を今日一日だけのものとせず、日々の訓練、日常の備えに生かしていかなければならないと思う。